浦和地方裁判所 平成6年(ワ)662号 判決 1996年9月06日
原告
甲野太郎
外一名
右両名訴訟代理人弁護士
飛田政雄
同
阿部満
被告
上尾市
右代表者市長
新井弘治
右訴訟代理人弁護士
清野孝一
同
関井金五郎
主文
一 原告らの請求中、被告に対し、原告らを売主とし上尾市土地開発公社を買主とする売買契約を締結するようにせよと求める訴えを却下する。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主位的請求
(一) 被告は、原告らに対し、それぞれ金九四三九万八〇〇〇円を支払え。
(二) 被告は、原告らに対し、別紙物件目録記載の土地につき所有権移転登記手続を受けるのと引換えに、それぞれ四〇四五万六八二五円を支払え。
(三) 訴訟費用は、被告の負担とする。
(四) 仮執行の宣言
2 二次的請求
(一) 被告は、原告らとの間において、別紙物件目録記載の土地につき、原告らを売主、被告を買主、売買代金を二億六九七〇万九六五〇円とする売買契約を締結せよ。
(二) 主位的請求(三)、(四)と同旨
3 三次的請求
(一) 被告は、原告らと上尾市土地開発公社との間において、別紙物件目録記載の土地につき、原告らを売主、上尾市土地開発公社を買主、売買代金を二億六九七〇万九六五〇円とする売買契約を締結するようにせよ。
(二) 主位的請求(三)と同旨
4 四次的請求
(一) 被告は、原告らに対し、金一億六五五六万九六三五円及びこれに対する平成七年一〇月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 主位的請求(三)、(四)と同旨
5 五次的請求
(一) 被告は、原告らに対し、金一億九三四万二五六五円及びこれに対する昭和六二年八月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 主位的請求(三)、(四)と同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 本案前の答弁(三次的請求に対し)
主文一項と同旨
2 本案に対する答弁
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は、原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
(請求原因)
一 主位的請求
1 原告らは、被告との間で、平成元年四月一九日、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)につき、左記内容の売買契約を成立させるについて、原告らに予約完結権を授与する旨の合意をした。
記
売主 原告ら(持分各二分の一ずつ)
買主 被告(但し、契約上の名義は上尾市土地開発公社(以下「開発公社」という。))
売買代金 二億六九七〇万九六五〇円
支払方法 契約成立時 一億八八七九万六〇〇〇円
移転登記時 八〇九一万三六五〇円
2 原告らは、被告に対し、平成六年三月二五日、右予約完結の意思表示をした。
よって、原告らは、被告に対し、右売買契約に基づき、それぞれ売買代金のうち金九四三九万八〇〇〇円及び本件土地につき所有権移転登記手続をするのと引換えに残金四〇四五万六八二五円の支払を求める。
二 二次的請求
1 原告らは、被告との間で、平成元年四月一九日、本件土地につき、左記内容の売買予約を締結した。
記
売主 原告ら(持分各二分の一)
買主 被告
売買代金 二億六九七〇万九六五〇円
支払方法 契約成立時 一億八八七九万六〇〇〇円
移転登記時 八〇九一万三六五〇円
2 原告らは、被告に対し、平成六年三月二五日、売買完結の意思表示をした。
よって、原告らは、被告に対し、右予約に基づき、右内容の売買契約を締結することを求める。
三 三次的請求
原告らは、被告との間で、平成元年四月一九日、本件土地につき、原告らを売主、開発公社を買主、代金を二億六九七〇万九六五〇円とする売買契約を締結する旨の合意をし、右合意に基づき、被告は、開発公社に取得業務を委託し、開発公社に原告らとの間で売買契約を締結させる義務がある。
よって、原告らは、被告に対し、右合意に基づき、原告らと開発公社との間において、右内容の売買契約を締結するようにすることを求める。
四 四次的請求
1 被告は、原告らに対し、平成元年四月一九日、本件土地を、原告らを売主、開発公社を買主として、代金二億六九七〇万九六五〇円で買取る旨を約束した。
2(一) 被告は、原告甲野太郎(以下「原告甲野」という。)に対し、昭和六二年四月頃、当時被告が推進していた新駅(現在のJR高崎線北上尾駅。以下「北上尾駅」という。)開設に関連して、右駅建設予定地の土地所有者のための代替地の確保を要請したことから、被告が右土地を買い上げるとの前提で、原告甲野は右代替地として本件土地を取得し、被告の右約束を得たのであって、被告が右土地の買い上げを予定していなければ取得するはずがなかった。
(二) それにもかかわらす、被告は、右建設予定地の土地所有者との間で、右土地についての賃貸借契約を締結することができ、もはや本件土地を買い上げる必要性がなくなったことから、土地売買契約の成立には契約書の作成が上尾市契約規則によって義務づけられていることを理由に、売買契約の成立を否定し、本件土地の取得を拒否している。
(三) しかし、原告甲野が、本件土地を取得するに至った経緯に鑑みると、被告が、契約書の未作成を楯に売買契約の成立を否定することは不当であり、信義則上、少なくとも契約の成立に向けて誠実に努力する義務があったというべきであるところ、被告は、右義務に反しその努力をしなかった。
3 被告の右債務不履行による原告らの損害は、本件土地の時価一億四一四万一五円と買取合意額二億六九七〇万九六五〇円との差額である一億六五五六万九六三五円である。
よって、原告らは、被告に対し、右債務不履行に基づく損害賠償請求として、一億六五五六万九六三五円及びこれに対する平成七年一〇月三一日(請求の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
五 五次的請求
1 被告は、原告甲野に対し、昭和六二年四月頃、当時被告が推進していた北上尾駅開設に関連して、右駅建設予定地の土地所有者のための代替地の確保を要請したことから、原告甲野は、右代替地として本件土地を取得したのであって、被告が右土地の買い上げを予定していなければ取得するはずがなかった。
2 しかし、被告は、右のとおり本件土地の取得を要請しておきながら、右建設予定地の土地所有者との間で、右土地についての賃貸借契約を締結することができ、もはや本件土地を買い上げる必要性がなくなったことから、売買予約の成立を否定して買い取りを拒否しているのであり、このように、被告が、自己の都合で一方的に買い取りを拒否することは、信義則上許されず、違法である。
3 被告の右不法行為による原告らの損害は、本件土地の時価一億四一四万一五円と本件土地の取得に要した金額(取得価額、仲介手数料、登記費用)二億一三四八万二五八〇円との差額である一億九三四万二五六五円である。
よって、原告らは、被告に対し、右不法行為に基づく損害賠償請求として、一億九三四万二五六五円及びこれに対する昭和六二年八月二一日(本件土地取得の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の本案前の主張(三次的請求に対し))
開発公社は、被告とは別に法人格を付与された団体であり、その業務の遂行にあたっては開発公社に裁量が認められているのであるから、被告が、原告らと開発公社との間で売買契約を締結させるようにするためには、開発公社の任意の意思表示が必要であるところ、その実現は、直接強制、代替執行又は間接強制のいずれの方法によっても不可能であることから、原告らの三次的請求は、訴えの利益を欠く不適法なものである。
(請求原因の認否及び被告の主張)
一 主位的請求について
1 請求原因一1の事実は否認する。
本件においては、被告の職員が、原告らに対し、本件土地に関する土地買取希望申出書を交付したにすぎず、これをもって、被告と原告らとの間で、特定の内容の売買契約を成立させるについて予約完結権を授与する旨の合意があったということはできない。
また、地方自治法二三四条五項及び上尾市契約規則三条によれば、原告らと被告との間で、本件土地に関するいわゆる売買の一方の予約が成立するには、被告は、原告らとともに、その旨の契約書を作成し、上尾市長が原告らとともに契約書に記名押印しなければならないにもかかわらず、右契約書が作成されていないのであるから、売買の一方の予約が成立する余地はない。
仮に、口頭による合意のみによって売買の一方の予約が成立するとしても、売買契約を成立させるためには、上尾市長と原告らの記名押印のある契約書の作成が必要であることから、右契約書が作成されていない本件においては、原告らによる予約完結の意思表示だけでは、原告らと被告との間に売買契約は成立しない。
2 同一2の事実は認める。
二 二次的請求について
1 請求原因二1の事実は否認する。
一1で述べたように、被告は、原告らとの間で、売買予約を締結した事実はない。また、被告は、原告らとの間で、上尾市長及び原告らの記名押印のある契約書を作成していないのであるから、売買予約が成立する余地はなく、仮に、口頭により売買予約が成立するとしても、記名押印のある契約書が作成されていない以上、売買契約が成立することはない。
2 同二2の事実は認める。
三 三次的請求について
請求原因三の事実は否認する。
被告は、原告らとの間において、原告らを売主、開発公社を買主とする、本件土地の売買契約を締結する旨の合意をしたことはない。
仮に、原告らと被告との間で、右合意が成立したとしても、原告らと開発公社との間で売買契約を成立させるためには、開発公社の任意の意思表示による売買契約の締結が必要であることから、原告らと被告との間の前記合意によっても、被告が、開発公社に対し、原告らとの間で、本件土地に関する売買契約を締結させる義務が生じることはない。
四 四次的請求について
1 請求原因四1の事実は否認する。
被告は、原告らに対し、本件土地を、原告らを売主、開発公社を買主として買取る旨を約束したことはない。
2(一) 同四2(一)の事実のうち、被告が、原告甲野に対し、代替地の確保を要請したということは否認し、その余は知らない。
被告が、代替用地等を確保する場合には、開発公社が直接当該土地の所有者と契約交渉を行い当該土地を取得するのであり、民間の特定業者に代替用地の確保を依頼するというような方法を採用していないのであり、本件においても、被告が、原告甲野に対し、代替用地の確保を要請することはありえない。
(二) 同四2(二)の事実は認める。
(三) 同四2(三)の事実は否認する。
3 同四3の事実は否認する。
なお、原告らが主張している損害は、原告らと開発公社との間で本件土地についての売買契約が有効に成立していたならば得られたであろう履行利益であるから、原告らと開発公社との間で売買契約自体が成立段階までに至っていない本件においては、原告らは、右のような履行利益を請求することはできない。
仮に、原告らが、履行利益の賠償請求ができるとしても、原告らの主張する土地の値下がりによる損害は、いわゆる特別損害であることからすれば、被告は、土地の価額の下落を予見することが不可能であったのであるから、右損害は相当因果関係の範囲外のものであって、原告らは、被告に対し、右損害の請求をすることはできない。
五 五次的請求について
1 請求原因五1の事実のうち、被告が、原告甲野に対し、代替地の確保を要請したということは否認し、その余は知らない。
2 同五2の事実は否認する。
本件においては、原告らは、上尾市長に対し、本件土地に関する土地買取希望申出書の提出すらしていないことからすれば、仮に、原告らと被告の職員との間で、本件土地に関して事実上何らかの協議があったとしても、未だ契約締結の準備段階にすら至っていないのであって、契約上の信義則の支配を受けることはない。
また、前述のとおり、被告が、本件土地の購入を原告らに依頼したのではないこと、原告ら自らが、土地買取希望申出書への押印を拒んだこと、そして、原告甲野は、被告に対し、原告らが売買契約が成立したと主張している頃、恐喝未遂行為を行い、右行為により有罪判決を受けていること等の事情を考慮すれば、被告が本件土地を買取らなかったという不作為をもって違法ということはできない。
さらに、本件土地について売買契約が締結されなかったのは、原告ら自らが、土地買取希望申出書に押印しなかったからであることからすれば、本件土地について売買契約が締結されなかったことについて、被告に過失はない。
3 同五3の事実は否認する。
四3で述べたのと同様に、原告らの主張する損害は、いわゆる特別損害であることからすれば、被告は、土地の価額の下落を予見することが不可能であったのであるから、原告らは、被告に対し、右損害の請求をすることはできない。
第三 証拠
本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第一 主位的請求について
一 北上尾駅開設をめぐる原告らと被告間の対応経緯
いずれも成立に争いのない甲第一五、第一六号証、第二二ないし第三〇号証、乙第七号証及び弁論の全趣旨によれば以下の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 原告有限会社本庄企画(以下「原告会社」という。)は、不動産の売買・仲介等を業とする会社であり、原告甲野は、原告会社を事実上統括する者である。
原告甲野は、原告会社のほかに、イチコー興業株式会社、イチコー興産株式会社、株式会社アイシー企画等の創業者であって、これら各社を事実上統括している。
2 原告甲野は、昭和五九年一二月頃、建物を建築する目的で上尾市中妻一丁目二番二の土地を取得した。ところが、右土地は当時被告が推進していた旧国鉄高崎線新駅(現在の北上尾駅)の建設を予定していた箇所であったことから、当時被告の都市経済部都市計画課長であった乙川一郎(以下「乙川課長」という。)は、右土地上に建物が建つことを危惧し、原告甲野との間で右土地の売買について交渉を重ねた結果、原告甲野は、右土地を開発公社に売却することに同意し、公有地の拡大の推進に関する法律(以下「公拡法」という。)の規定に従い、昭和六〇年一一月一二日、右土地に関する土地買取希望申出書を埼玉県知事に提出し同法所定の手続きを経て、同年一一月三〇日、開発公社との間で右土地の売買契約を締結した。
3 右交渉の過程で新駅建設の計画があることを知った原告甲野は、買収予定地の所有者に対し代替地として提供するための土地を予め取得することで、被告の新駅建設事業の遂行に協力するとともに、右代替地を被告に売却することで確実に利益を上げられると考え、右代替地の取得を開始した。
そして、原告甲野は、右代替地として、上尾市浅間台一丁目一八番六及び一八番七の各土地(以下併せて「浅間台一丁目の土地」という。なお、右各土地の登記簿上の所有名義人は原告会社の代表取締役である中村有及びイチコー工業株式会社である。)、上尾市浅間台二丁目二一番四、二一番五及び二一番六の各土地(以下併せて「浅間台二丁目の土地」という。なお、右土地の登記簿上の所有名義人は株式会社アイシー企画やイチコー工業株式会社等である。)、上尾市中妻五丁目四番六の土地を相次いで取得した。
4 昭和六一年三月、当時の上尾市長友光恒は、市議会において新駅の建設を発表し、同年四月に市役所内に駅周辺整備対策室を設け、同年五月には「国鉄北上尾駅(仮称)建設促進期成同盟会」(以下「期成同盟会」という。)を発足させて市長自らが会長となるなど、新駅設置の計画を具体化させていった。
5 一方、原告甲野は、前記の浅間台一丁目の土地や浅間台二丁目の土地等を新駅用地の代替地として被告に買い取らせようとして、昭和六〇年一二月、乙川課長に対し、その旨の打診をした上、昭和六一年一月頃から同年九月頃にかけて、数回にわたり、同人及び駅周辺整備対策室長となった丙田二郎(以下「丙田室長」という。)らを料理店で接待し、「車代」などと称してたびたび現金を交付する等し、同人らに右各土地が代替地として買上げがなされるよう、有利な取り計らいを依頼していた。
その後、原告甲野は、公拡法の規定に従い、右各土地についての土地買取希望申出書を提出して所定の手続きを経て、浅間台一丁目の土地及び上尾市中妻五丁目四番六の土地については昭和六一年一二月一八日に、浅間台二丁目の土地については昭和六二年一月二七日に、それぞれ開発公社との間で、売買契約を締結し、その結果、原告甲野は四億円を超える多額の利益を得た。
6 また、原告甲野は、前記各土地の売買交渉を上尾市職員と進める間に、昭和六一年九月ころ、右職員から期成同盟会に寄付をしてほしいとの申入れを受けて、その後承諾し昭和六二年二月、二〇〇〇万円を期成同盟会に振込送金して寄付した。
7 原告甲野は、同年一月中旬、前記乙川課長に対し、土地の売買につき便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨のもとに台湾旅行に招待し、かつその際に現金一〇万円を提供し、同課長はこの賄賂を受領した。
8 その後、新駅建設は旧国鉄に承認され、同年八月、原告甲野は功労者として北上尾駅建設の起工式に招待された。
9 昭和六三年二月七日、上尾市長選挙が施行され、友光恒に代わって荒井松司「荒井市長」という。)が当選し、執行部も一新された。
荒井市長の下での新体制は、北上尾駅設置に関し、駅建設用地買収に関する被告と原告甲野との間の癒着が市民から指摘されていたことを考慮し、この疑惑等を調査する目的で、同年三月二三日、地方自治法九八条一項に基づき、上尾市議会内に「北上尾駅(仮称)建設問題調査特別委員会」(以下「調査特別委員会」という。)を設置するなどして、疑惑の解明に努力する姿勢を示した。
10 原告甲野は、右調査特別委員会で自己と被告との癒着の疑惑が問題にされていることを不快に思い、同年七月二二日、荒井市長に面会を求め、名誉回復措置を講じてほしいと申し入れ、同市長もこれを検討する旨の回答をした。
その後、原告甲野は、被告の助役小池甫(以下「小池助役」という。)やJR関係者に面会したり、荒井市長に電話を掛けるなどして名誉回復のために運動をしたが、被告関係者からの反応はなく、荒井市長の対応も煮えきらないものであった。
原告甲野は、同年一〇月二七日、被告の都市経済部長であった畑孝雄に対し、被告のやり方に対して憤懣を述べるとともに、期成同盟会に寄付した二〇〇〇万円の返還要求などを内容とする荒井市長宛の要望書を交付した。
11 同年一一月一二日、荒井市長は、原告甲野に対し、「新駅の開業予定日である一二月一七日までには名誉回復を考える。」と述べたが、同年一二月一七日を経過しても上尾市からは何の音沙汰もなく、原告甲野は、名誉回復はおろか、市は新駅の開業という既成事実を盾に寄付した二〇〇〇万円の返還すらうやむやにしようとしているのではないかと立腹し、この上は市役所に乗り込んで二〇〇〇万円だけでも取り戻そうと決意した。
12 原告甲野は、同年一二月二六日、上尾市役所において、小池助役に対し、「二〇〇〇万円を返せ。年末だから取りに来たんだ。」「返さないと市が全面的に悪いということを公表してやる。スピーカーがあるじゃないか。マイクを持ってこい。」などと怒号して、同助役を脅し、期成同盟会に寄付した二〇〇〇万円の返還を迫った。
翌日、小池助役から原告甲野の言動につき報告を受けた荒井市長は、これを契機として原告甲野に二〇〇〇万円を返還し、旧執行部との癒着の噂のある原告甲野との関係を一挙に断つことを決意し、同日、期成同盟会を経由してイチコー工業株式会社の銀行口座に二〇〇〇万円を振込入金させた。
13 原告甲野は、平成元年七月以降、12項の小池助役への言動や7項の乙川課長への現金一〇万円の交付等により、恐喝、贈賄罪で次々と起訴され、平成四年三月、贈賄罪及び恐喝未遂罪により有罪判決を受けた。
乙川課長も収賄罪により有罪判決を受け、被告の懲戒免職処分に付された。
二 公拡法五、六条による土地売買手続の概要等
成立に争いのない乙第五号証及び弁論の全趣旨によれば、地方公共団体等による土地の買い取りを希望する土地所有者が公拡法五条及び六条の規定により、地方公共団体等との間で売買契約を成立させるに至るまでの手続の概略は次のとおりである。
1 土地所有者が土地買取希望申出書を市町村長に提出
2 市町村長から都道府県知事宛に土地買取希望申出書を進達
3 知事から地方公共団体等へ通知
4 買い取りを希望する地方公共団体等があるときは、知事が協議主体となる地方公共団体等を決定
5 知事から土地所有者及び協議主体の地方公共団体等に通知
6 土地所有者と協議主体の地方公共団体等との間で売買契約の具体的な内容について協議開始
7 協議が整ったときは土地所有者と協議主体の地方公共団体等との間で売買契約締結
また、成立に争いのない乙第八号証及び弁論の全趣旨によれば、被告においては、上尾市財産評価審議会規程により、財産の取得又は処分を適正かつ効果的に処理するために財産評価審議会を置き、右の6の協議が開始した場合、市長の諮問により、同審議会において、その適否や価額を調査審議すべきこととされていたことが認められる。
三 本件土地に関する土地買取希望申出書の交付に至る経緯
成立に争いのない甲第一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三五ないし第三七号証、乙第九号証の一ないし三及び弁論の全趣旨によれば、原告甲野は、昭和六二年八月二一日、本件土地所有権を取得したが、その後、本件土地の所有権持分二分の一につき、真正な登記名義回復を原因として原告会社への所有権移転登記が経由されたこと、平成元年四月一九日、被告の職員(丙田室長)が、原告甲野に対し、本件土地に関する土地買取希望申出書(甲第二号証の一及び二、第三号証の一及び二)を交付したこと、しかし、結局、原告甲野はこの土地買取希望申出書を上尾市長に提出しなかったこと、本件土地の取得については、上尾市長は、上尾市財産評価審議会への諮問をしていないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
四 本件土地に関する売買の一方の予約の成立の有無
1 原告らは、被告の職員が本件土地に関する土地買取希望申出書を原告らに交付したことをもって、被告が本件土地を買い受ける旨の確定的表明であるとし、その時点で、原告らと被告との間に、本件土地についての売買予約(いわゆる売買の一方の予約)が成立したと主張する。
2 原告らが主張するようないわゆる売買の一方の予約が成立するためには、完結の意思表示により成立する売買契約の内容が確定されていることが必要とされる。本件においては、確かに、前記一で認定したところからすれば、従前から原告らと被告の職員との間で、新駅建設に関する公共用地として複数の土地の売買交渉がなされており、本件土地に関しても、被告の職員がわざわざ土地買取希望申出書を持参したというのであるから、その売買につき何らかの交渉があったことは、容易に推認することができる。そして、右の土地買取希望申出書(甲第二号証の一及び二、第三号証の一及び二)には、いずれも「土地に関する事項」欄には本件土地及び上尾市大字上字町谷六〇番一一の土地の表示が記載され、「買取り希望価額」欄には三一四、八九三、六五〇円(二分の一の価額)と記載されており、被告の職員がこれらの各記載をした上で、原告甲野の下に持参したものと考えられる。
しかし、前記の認定のとおり、土地買取希望申出書は、土地を買い取るべき地方公共団体等が確定する以前に、土地所有者等が市町村長を介して都道府県知事に宛てて、買い取りの希望を伝えるために提出すべき書面であり、本来的には、その中の買取り希望価額欄の記載は、土地所有者自身が希望する額に過ぎないと考えるのが自然である。
ましてや本件においては、原告甲野は、土地買取希望申出書を被告の職員から受け取りながら、結局これを提出せず、その後の手続はなんら進行しなかったのであって、契約当事者となる協議主体の決定もなく、上尾市財産評価審議会への諮問もないのであって、したがって、売買代金の確定もなされなかったというべきなのである。
そして、本件以前に原告甲野の関与した被告との土地売買取引については、いずれも売主側から土地買取希望申出書が提出されて公拡法所定の手続を経た上で売買契約が締結されていることは前記一で認定したとおりであり、また、本件において前記土地買取希望申出書が持参された平成元年四月は、既に前記一9ないし12の事実があり、原告甲野が被告に対し強い不快、不信をもつに至った後であるから、同原告が右申出書の提出に至らなかったのは、本件土地を被告に買取らせることをためらう意向があったためであると推認しうる。
したがって、被告の職員が、本件土地に関する土地買取希望申出書を原告らに交付したことをもって、被告がその記載代金で本件土地を買い受ける意思の確定的表明であると評価することはできず、他に、右の時点で、その意思の確定的表明があったことを認めるに足りる証拠はない(なお、原告らは、本件土地と同一の土地買取希望申出書に記載されていた、上尾市大字上字町谷六〇番一一の土地についても、本件土地と同様、被告の職員が右申出書を原告らに交付したことをもって、一平方メートルあたり三五万三〇〇〇円の価額で被告が買取るという内容の売買の一方の予約が、原告らと被告との間で成立したものと主張するが、いずれも成立に争いのない甲第一一号証、第一三、第一四号証によれば、原告会社が、平成二年三月一二日、上尾市長宛に提示した右土地の価額は、一坪あたり一五〇万円(一平方メートルあたり約四五万四五四五円)であること、右土地についての売買契約が、平成三年三月二九日、締結されたが(売主は、原告会社及び同社の代表取締役でもある中村有、買主は、開発公社である)、その売買代金は、一平方メートルあたり四七万七二一〇円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないことからすれば、いずれの価額も原告らの主張する売買の一方の予約の内容とは異っており、このことからも、本件土地に関する売買契約の内容は確定していないことが推認される。)。
3 なお、仮に、原告らと被告との間で、本件土地の売買に関して、何らかの合意があったと認める余地があるとしても、原告らと被告との間で売買の一方の予約が成立するためには、以下の理由により、上尾市長と原告らとが記名押印した契約書を作成しなければならないのであるから、右契約書が作成されていない以上、本件土地に関する売買の一方の予約が成立したということはできない。
すなわち、地方自治法二三四条五項は、普通地方公共団体が契約につき契約書を作成する場合には、当該普通地方公共団体の長又はその委任を受けた者が契約の相手方とともに契約書に記名押印をしなければ、契約の内容が確定しないことを定めているが、その趣旨が、地方公共団体等のなす契約の公共性ゆえに契約関係の明確化を図ることにあることからすれば、右契約書の作成は、契約成立の要件であると解すべきである。そして、右規定を受けて、上尾市契約規則が、不動産の売買等の場合は常に契約書の作成を義務づけているが(三条(1)ア)、売買の一方の予約が成立した場合には、相手方の予約完結権の行使さえあれば売買契約成立の効果が生じるのであるから、これを本契約と区別する理由はなく、したがって、不動産の売買の一方の予約が成立するためには、前記契約書の作成が必要であると解されるところ、本件土地の売買の一方の予約に関しては、右契約書が作成されていないのであるから、右予約が成立したと解することはできないのである。
第二 二次的請求について
二次的請求において原告らが主張するところは必ずしも明らかではないが、原告らは、原告らと被告との間に、(売買の一方の予約ではないという意味での)いわゆる一般的な予約が成立したとして、被告に対して、本契約に対する承諾(本契約締結の意思表示)を求めているものと解されるところ、いわゆる一般的な予約の場合においても、少なくとも、相手方の承諾の意思表示を訴求しうるというためには、将来締結されるべき本契約の内容が確定されていることが必要であると解すべきであるから、前記第一で述べたように、本件土地の売買に関しては、原告らと被告の職員との間で何らかの交渉がなされたことは推認できるものの、確定した内容の契約が締結されたと認めるに足りる証拠がない以上、右のような一般的な予約が成立したと解することもできない。
第三 三次的請求について
原告らは、被告に対し、原告らと開発公社との間において、原告らを売主、開発公社を買主とする売買契約を締結するようにせよと請求しているが、請求の趣旨及び原因を総合してみても、原告らがいかなる内容の給付を請求しているのか特定することができず、給付訴訟における請求の内容としての特定性を欠くものであるというほかないことから、原告らの請求は不適法であり、右請求にかかる訴えは却下すべきである。
しかも、仮に、原告らの主張が、原告らが、被告に対し、被告と開発公社との間で、本件土地の買取業務に関する委託契約を締結したうえで、さらに、原告らと開発公社との間で、本件土地についての売買契約を締結することを請求しているものと解するとしても、原告らが主張している被告の右義務は、被告の意思だけで履行しうるものではなく、公拡法により被告とは別個の法人格を付与された開発公社の意思にかかり、被告はその意思決定を強制する法的根拠を有していないのであるから、その債務の性質上、直接強制が許されないことはもちろん、代替執行や間接強制も許されないものと解するのが相当である。そして、給付訴訟が、強制執行による実現を予想する紛争解決手段であって、強制執行が許されない場合には、もはや給付請求として不適法であると解すべきであるから、この点からみても、原告らの右請求は、給付訴訟として不適法であり、右請求にかかる訴えは却下すべきである。
第四 四次的請求について
一 原告らは、被告と原告らとの間で、原告らを売主、開発公社を買主として、本件土地を買取る旨の約束があったことを前提として、現時点で契約書の不存在を楯として契約の成立を否定することは、信義則に反するとし、損害賠償を求めている。
しかし、前記第一で認定したとおり、本件土地の売買に関して、原告らと被告の職員との間で、何らかの交渉があったことは推認できるものの、その交渉は、土地買取希望申出書の市長への提出という段階に至るまでもなく中断してしまったのであって、原告らと被告との間で、原告らの主張するような確定した内容の約束が成立したと認めるに足りる証拠はないのである。
二 さらに、前記第一の一で認定したとおり、原告甲野は、本件土地以外の他の代替地を、一面においては被告の事業に協力するということがあったものの、右代替地を被告に売却することで確実に利益を得ることを目的として取得し、その売買にあたっても、積極的に原告甲野の方から被告に対して右代替地の買い取り方を依頼したばかりか、被告の職員に賄賂を贈ってまで自己に有利な取り計らいを求め、現に土地を買取らせることに成功して約四億円もの巨利を得ていたのであってみれば、原告らが本件土地を取得するにあたり、被告の職員から何らかの働きかけがあったとしても、被告の要請がなければ本件土地を取得することはなかったとまで考えることはできず、むしろ自己の利益のために購入していた疑いが濃い。また、友光恒市長時代の原告甲野と被告との関係は、汚職にまで発展した不明朗なものであって、癒着の疑惑が取り沙汰されたのは誠にもっともなところであるが、この関係は、市長交代後悪化してゆき、遂には恐喝未遂と評されるまでの行為を原告甲野がなすほどに至り、原告甲野自身、被告に対する強い不快感から、被告の職員が交付した本件土地に関する土地買取希望申出書を提出せず、本件土地売買に関する手続きを自ら進めなかったのであり、このような事情からすれば、被告が、その後において、本件土地の売買についての手続を進めなかったことをもって、契約の成立に向けて誠実に努力する義務を果たさなかったとまでいうことはできず、他に原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。
第五 五次的請求について
一 原告らと被告職員との間で、本件土地の売買に関し、何らかの交渉があったことは、前示のとおりであるが、そうしてみれば、売主である原告らとすれば、その交渉の結果に沿った契約の成立を期待し、そのための準備を進めることはいわば当然のことであり、このような、契約成立への期待というものも、場合によっては法的保護に値するものである。しかし、本件においては、前述のとおり、原告らと被告の職員との間に、何らかの交渉があったことは認められるものの、ごく初期の段階に止まっており、未だその内容は確定的なものではないことからすれば、このような段階においては、原告らの右期待が法的保護に値し、誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務が被告にあるとまでいうことはできない。
二 仮に、何らかの信義則上の義務が被告に認められるとしても、前記認定のとおり、原告らが本件土地を取得するにあたり、被告の職員から何らかの働きかけがあったことは認められるものの、被告の要請がなければ本件土地を取得することはなかったとまでいうことはできないこと、原告甲野は、新駅建設をめぐって被告の旧執行部と癒着が噂されており、現実に原告甲野は被告の職員に賄賂を贈るなどしていたこと、市長交代後は原告甲野が恐喝未遂行為を行う等、原告甲野と被告との間の関係は、著しく悪化していたこと、原告甲野自身、被告に対し不快感を抱き、被告の職員が交付した本件土地に関する土地買取希望申出書を提出せず、本件土地売買に関する手続きを自ら進めなかったこと等からすれば、被告が、その後において、本件土地の売買に関する手続を進めず、原告らからの買取請求を拒否したことは、誠にやむを得ないところであったというべきであり、そのことをもって、被告がその責に帰すべき事由により契約の締結を不可能ならしめたということはできず、他に被告の行為の違法性を認めるに足りる証拠はない(なお、たとえ、北上尾駅建設予定地の土地所有者と被告との間で、右土地についての賃貸借契約を締結することができ、もはや本件土地を買取る必要性がなくなったことが、被告が本件土地の買取りを拒絶する理由の一つであることが認められるとしても、何ら右認定、判断を左右するものではない。)。
第六 結論
よって、原告らの本訴請求中、被告に対し、原告らを売主とし開発公社を買主とする売買契約を締結するようにせよと求める訴えは、不適法として却下し、その余の請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小林克已 裁判官坪井祐子 裁判官松下貴彦)
別紙物件目録<省略>